地べたで野菜や果物売ってます。
味のない揚げパン達も、路上で売られています。
容器は、西友とかで売ってそうですね!!
きっと服とか入れて、クローゼットの奥に
置いとくやつかと。
みんなたくさんお買い物してました。
なんで大阪門真では、このような中国市場がひろがっているのか。
実は理由があるんです。
そう、門真は中国在留孤児の受け入れ都市であったから。
中国在留孤児とは、、、?
1931年の満州事変の後、中国東北部(旧満州国)に移住した日本人の子で、終戦時の混乱で親と別れて置き去りになった人たち。日本政府は、終戦時におおむね13歳未満で両親が日本人である人を認定する。
1931年満州事変により、
今の中国のところの一部(北の方)に、
満州国という日本支配下の国家ができました。
日本は国民が満州国に移住することをすすめます。
満州国の、ソ連からの警備、農業の活性化、国家維持のためですね。
また、日本は昭和恐慌より、
土地をなくし貧しい人達がたくさんいたので、
満州という広い土地で生活をしたい!
という人達もいました。
そんなわけで日本から、
満蒙開拓団としてたくさんの人が
派遣されました。
最終的には日本人が150万もいたとか。
日本の大人達は満州国に自分の家族を連れて、
映り住みます。
しかし、ソ連が満州国を侵攻し、
太平洋戦争で日本は負けます。
満州国の崩壊です。
それからしばらくは中国と日本に
国交はありません。
大人だったら日本に戻られたかもしれない。
でも大人というものは戦争で大抵死んでしまったのですよ。
戦争や感染病によって親を亡くした子ども、
離れ離れになってしまった子どもが
満州国に取り残されてしまった。
日本に帰りたくても帰れない。
ここは中国です。
ただただパパやママについて行った
子どもたちはどうなるのか。
こんな大変な時代に、
そんな子ども達に何ができたというのか。
中国の地で、中国人として暮らす。
中国の親に育てられる。
結婚相手は中国人。
生まれる子供も中国人。
食べるものも学ぶ知識も中国のもの。
いくら親が日本人だからといって、
もう中国人なんですよ。
そして1972年中国と日本との国交が回復。
満州国が崩壊したのは1945年ですから、
30年ほどでしょうか。
当時満州国に取り残されしてしまった、
かわいそうな子供たち(中国残留孤児)を
日本に取り戻してあげようという運動が
起こるのです。
そんな運動が起こるまで、時間がかかりすぎた。
当時赤ちゃんだった子も、すでに30過ぎ。
大人になりました。
そんな中国残留孤児の
受け入れ先のうちの1つが大阪門真だったのです。
門真には、住人ほとんどが中国残留孤児、
またはその子孫である団地があるとか。
時間があるときに、行ってみたいですね!
まあ門真だけでなく、
大阪は本当に多国籍ですよね。
道頓堀あたりは、もう日本ではないです。
近鉄で、難波のお隣の駅である日本橋も
なかなかディープです。
前のブログに載せた黒門市場もそのあたりですね。
そんな日本橋に、興味深い中国系のお店がたくさんあります。
例えば、、、
奥に見える、黄色の看板分かりますか?
中国物産というお店です。
ここはそこまで大きいお店ではないんですが、
もう中国ですね。
異世界ワールドいっぱいです。
お店に入ったらまずニーハオと言われます。
中国の食材やお菓子、冷凍食品などがぎゅうぎゅうに詰め込まれています。
なんか匂いも中国
この店は許可とかそういうものあるのでしょうか。
なんか1人暮らしの大学生の部屋くらいの
小ささですね。
大阪にある中国系スーパーって
だいたいこのお菓子ありません??
前に買って食べたんですが、
味のない、米菓子って感じでした。
この、画像フォルダをスクショした写メをご覧ください、、、、
お分かりいただけたであろうか、、、、
この写メを撮った日は、6月12日。
そしてこの食材の賞味期限は、5月10日。
過ぎてますね!!!
1ヶ月くらいならまだいいと思います。
他にもバンバン期限切れの食材売られてます✨
中国物産を少し行ったところに、
LAOXというビルがあります。
免税店です。
4階だっけな、5階だっけな、
中国スーパーのフロアがあるんです。
先ほどのお店より、うんと広くて品揃えも良いです。
モザイクけしけし
中国残留孤児問題でモヤモヤするものはあるものの、
日本の中国に思わずテンションがあがる私に
なんと朗報があるのです。
それは何と!!!
続きは次で。
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